《明日山 千光寺(高野山真言宗)》

(町・工芸品 昭和36年12月26日指定) 

 千光院の創建は大同元年(806)で、開山は秀証である。堂宇は天正元年(1573)に再建されているが、寺屋敷は村人たちより寄進された。・・・貞享2年(1685)の千光院の書き上げによる。

  明日山にはかって16の坊がありましたが、次々になくなり、花蔵坊(現法福寺)と福蔵坊(千光院・現千光寺)の2ヶ寺だけとなったようです。もとは法福寺と隣同士だった千光院は、嘉永4年(1851)清水の出る現在地に移りました。 

 千光寺の阿弥陀如来立像は、浄土教の信仰と復古思想の流行に伴い盛んに造られた善光寺の一光三尊(日本最初の霊像)の分身像の一つで県内ではここだけに残る善光寺式阿弥陀像です。尊顔は面長で平滑です。衣紋は流麗で、像全体の目方は重く、室町時代の特徴をよく表わしています。像は鋳銅で、総高50cm、肩幅15cm 足の柄に『天和3年(1683)7月15日藤原義光 大坂天神橋□□』の修理銘があります。 

※明日金毘羅宮 

 旧宇奈月町には「栃屋金比羅社」「下立金刀比羅宮」「明日金毘羅宮」の金毘羅宮があります。 

千光寺の前から登り、標高約300mの所に明日金毘羅宮の社が残っています。創祀は江戸時代末期嘉永5年(1852)以前だろうと伝えられています。

現在は宮を千光寺内に移し、6月10日、10月10日に祭礼が行われています。

千光寺ホームページ

 

※ぼけ封じ白寿観音

境内には「ぼけ封じ白寿観音」とかつて養蚕が行われていた名残の「蚕の宮」が祀られています。

《愛本新用水》

※愛本新用水発電所

 黒部川の柳河原堰堤より取水し、関西電力愛本発電所の共用導水路、関西電力愛本発電所のヘッドタンクを経て農業専用の圧力管路から導水した農業用水の最大流量2.04/s、有効落差33.10mを利用して最大出力530kwを発電する流れ込み式発電所です。発電所は愛本新用水土地改良区で管理し、その恩恵が用水路の維持管理費に充てられ、

農業水利費の低滅を図り、土地改良施設の操作に必要な電力を供給することを目的とした自家用発電所です。

 平成元年12月完成し、平成2年(1990)1月26日、愛本新発電所運用開始式および県営かんがい排水事業愛本新地区の完工式を挙行し、念願の愛本新用水での発電所が生まれました。

 

※愛本新用水

 旧黒部川扇状地にあたる舟見野段丘面の愛本新・舟見・野中を開拓するために造られた用水で、用水路の設置以前は、「雲雀野」と呼ばれる水利の便が悪く畑地や原野でした。

当時の十村役伊東彦四郎が長年にわたり、加賀藩に用水開削を請願し続け、寛政8年(1796)11代藩主 前田治脩から財政援助を受け享和2年(1802)に三里に及ぶ水路が完成しました。用水は音沢村の上流の黒部川から取入れ舟見野約四百町歩に灌漑されました。開削時は舟見野新用水と呼ばれていましたが、下流の四千石用水が舟見用水と呼ばれていたため愛本新用水と改称されました。

  その後、愛本新用水への分水は昭和11年(1936)に発電が始められた愛本発電所の水槽から直接落下させる方式で行われていましたが、落下地点から約2キロメートルの間は山腹を縫った開渠の水路であり、豪雨により軟弱な山腹は崩壊し溢水する災害が多く、特に蟹ノ沢と呼ばれる軟弱な地帯を通らずに明日(あけび)の平野部までトンネルで通水する方法で、県営かんがい排水事業として平成元年12月に完成しました。

※松明祭(黒部市無形民俗文化財) 

 初めて黒部川から水を入れた時、日が暮れても流れて来ない水が待ちきれず、農民たちが手に手にタイマツを持って上流まで水を迎えに行きました。愛本新用水天満宮を建立し、前田治脩公と伊東彦四郎の両氏が奉られています。

 この喜びを伝えるため愛本新では現在も毎年、用水完成日(10月5日)に治修公の遺徳をしのぶならわしとなり、長さ4ⅿ、重さ450キロの大タイマツ2基を担いで練り歩く松明祭を行っています。 

※明日用水

 愛本新用水が完成してもさらに高台の明日地区での水利はまだまだ不便なままでした。

 昭和初期の恐慌で農家が営農転換を模索している時、県営愛本発電所の建設が具体化し、畑作から水田への転換と開墾事業の助成が県から勧められ、水源を愛本発電所の調圧水槽から分水することとし、昭和11年6月に竣工しました。

その後昭和54年度の県営かんがい排水事業として愛本新用水と共に改修が行われ平成元年12月に完成しました。

《八幡社》

 祭神:誉田別命(ほむだわけのみこと)即ち應神天皇

 もと明日の畑ヶ田にあった諏訪社もここに合社せられて今は建御名方命(たけみなかたのみこと)も合せ祀られています。

 法福寺域内に鎮座されていたのを明治2年現社地に宮殿を造営した村社 八幡社です。社の中には、新・古の絵馬が奉納されています。 

1月6日、境内では、古いお札とワラ・豆ガラ等(豊作祈願に)を燃やします。

4月第2日曜日に春季祭礼、10月第2日曜日に秋季祭礼が行われ、明日地区を御神輿を担ぎ、笛・太鼓で囃したてながら獅子舞・踊りなどを催し練り歩きます。

 

《Oさん私邸の紅葉》

 仁王門の近くに位置するOさん邸。広い庭の中を明日用水が流れ、晩秋には紅葉したイチョウやモミジが池に映し出され、法福寺の参拝者を出迎えてくれます。

《明日山 法福寺(高野山真言宗・北陸観音霊場三十三番札所)》

(町・古文書・絵画 昭和49年6月12日指定)

 明日山法福寺の創建は、大同元年(806)と伝えられています。 

七堂伽藍があり、仁王門内に十六坊あったと伝える古刹です。上杉謙信が越中に乱入した時、堂宇が兵火に遭い炎上しました。のち、中興の祖・秀運和尚によって、天文年中(1532~55)に再建されました。 

 文禄2年(1593)に、加賀藩主前田利家から、十一面観音の灯明田として、百俵の土地を与えられたり、観音堂の造営に大きな支援を得たり、前田家の祈願所となりました。維新の際、奉還されたが、梅鉢紋を寺の紋に用いています。祭りの日には、観音堂にも、舞台にも、白地に黒の梅鉢紋と、紫地に黄色の梅鉢紋の幕が張られています。

  神亀5年(728)に行基によって開基されたとの説もあり、1キロ近い参道の両脇に民家が並んでいる・・・寺は広大な敷地です。

 所蔵する古文書には、文禄2年(1593)の初代加賀藩主前田利家の寄進状、三代藩主前田利常の5通の書状、寛永18年(1641)の『能加越三箇国奉加帳』など、寄進状、奉加帳、由緒書、仏事、寺産、造営修理などにかかわるもの総数318点。

仏画では、鎌倉時代のものとみられる・・・愛染明王坐像、不動明王立像

          室町期の作とみられる・・・天神坐像、雪舟筆の釈迦坐像

       江戸時代以降・・・普賢延命菩薩像、涅槃図、両界曼荼羅、『ろば人物図』(海北友松)、虎の襖絵(岸駒) などもあります。

法福寺ホームページ

※明日の稚児舞(国・重要無形民俗文化財 昭和57年1月14日指定

  法福寺に伝わる稚児舞は、日本伝統の舞楽が地方の寺院にもたらされ、次第に土俗化して、現在の様式になったものと考えられます。 

 4月第3日曜日の観音会(本尊の十一面観音の結縁法要)に、境内に仮設した四方吹き抜けの舞台で演じられます。(本堂の前庭中央に3.3㎡の舞台と後方に楽屋を設けます。) 

 舞人は、大稚児(13才前後)2人、小稚児(9才前後)2人の4名です。昔は男女児4名ずつでしたが、ある年、寺の裏池に棲む大蛇が女児を連れ去って以来男児のみになったと伝えられていますが、近年少子化のため女児も舞います。 

 当日稚児は当番役の肩車に乗り、本堂から舞台へ渡ります、観音堂では舞台の方に向かって読経が行われ、その間、稚児は舞台の上で床几に腰かけて待ち、お経が終わると舞がはじまります。舞が終われば再び稚児は肩車で戻ります。稚児を神の依代として、土を踏ませない定めになっています。

 演目は「矛(ほこ)の舞」「太平楽」「臨河(りんが)の舞」「万歳楽」「千秋楽」の5曲が、太鼓と笛で奏楽される古風で素朴な舞です。

文禄年間(1592~1595)あたりから寺に伝承されたらしく、舞については享保7年(1722)3月10日に写した『児舞声歌覚書』があり、現在もその歌詞が唄い継がれている。調べがゆったりとしていて四天王舞楽の流れをもつ。享保16年(1731)『稚児舞五番続舞次第書上状』などがあり、この舞は享保以前に定着していたことを示しています。

 矛の舞:2人 被り物の天冠に桃色のボタンの造花をつけ、奉書の小蝶を紅白の水引でむすぶ。上衣は水干仕立ての金らんの紺地に唐草模様。 紅色の袴をつけ、黄、紺、白、赤、緑の五色の垂幣(しでぬき)をつけます。

 太平楽、臨河楽、万歳楽:4人

 千秋楽:4人 天冠に赤のボタンをつけ、上衣は赤の打掛。持ち物は脇差をつけ、それを途中で抜きます。

※明日の大桜 (県・天然記念物 昭和40年1月1日指定)

  法福寺境内の御堂前の東側に樹幹と枝張りの見事なエドヒガンザクラの老樹があります。

幹まわり5m、樹高約13m。地上約4mの処で四枝に分かれ、東西15m、南北13mに及び、樹勢は極めて旺盛で、樹齢は400年以上といわれています。

 花の色は白っぽくわずかに紅色を帯び、ガクは丸っこく短い筒型をしています。 

《どやまらんど》

 日本海を一望できるキャンプ場です。河岸段丘の上にあり黒部川扇状地を見渡せる絶好の地にあり、日本海に浮かぶ能登半島、沈んでいく夕日を一望できます。

 バンガローやテントサイト、トイレ、炊事場はもちろん、バーベキュー広場やパークゴルフ場、グラススキー場などの施設もあります。

どやまらんどホームページ

《明日山荘  さか栄》

 会議、宴会、素泊まりなど、さまざまな用途に利用でき、部屋を借りて、ゆっくりとお風呂を利用することもできます。

 喫茶もあり、お昼のランチやカフェ、夜はお酒でくつろぎの時間を楽しむこともできます。

 定休日:第2、4水曜日

明日山荘 さか栄ホームページ

《明日農村公園》

田んぼに囲まれた自然豊かな公園で、おもいっきり遊ぼう! 

宇奈月町明日地域のどやまらんど近隣にある緑に恵まれた公園です。
すべり台・ブランコ・ジャングルジム・鉄棒などがあり、 トイレやベンチもあります。 公園内は広く、主に草地です。

8月下旬公園内でイワナのつかみ取り大会が地元の青壮年会によって開催され大きな歓声が響きます。